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社会(歴史)的背景と認知度の関係

レビュー:太平記


 私達は今、歴史の大きな転換期に生きている。
20世紀を支配してきた体制はこのところ急速に崩壊し、来るべき世紀の姿は未だ見えない。

 太平記の時代もまた日本の歴史の大転換期であった。
13世紀の末、鎌倉幕府の政治は北条氏の独裁によって腐敗し、武家社会は内部から崩壊の危機にあった。
一方では、貴族(公家)を中心として幕府を倒し、天皇による政治を復活させようという機運が高まりつつあった。

 足利尊氏が生まれた14世紀の初めは長い動乱の時代の幕開けだった。
その激動の中を、太平の世を願って生き抜き、やがて室町幕府を開いた武将。それが足利尊氏である。




上記は1991年大河ドラマ「太平記」第一話のオープニングのナレーションです。
最近、ふとした事でこの「太平記」を一通り視聴しましたが、凄まじく面白い!!

近年の大河と言えば、ひたすら「戦国」→「幕末(江戸末期~明治維新)」の繰り返し・・・。
確かに、知名度も人気もある時代ですが、こうも偏ると流石に・・・。

そこへこの太平記。ハマりましたね!


ひたすら耐えて北条打倒の機会を狙う
足利の当主、貞氏。
名優、緒方拳がハマりすぎです。


大河ドラマの「太平記」は主に3部構成?に分ける事が出来ると思います。以下に主な流れをご紹介


○幕末 腐った幕府を倒す! 正中の変・元弘の乱

 北条一族の独裁によって腐敗した鎌倉幕府。
圧倒的な権力と軍事力の差から、好き勝手やられても理不尽な仕打ちをされても幕府の一員としてひたすら耐える、源氏の棟梁・足利貞氏と息子・高氏(尊氏)の一族や新田一族などの御家人たち。器用に立ち回るバサラ大名・佐々木道誉。
 一方、京の帝・後醍醐帝は日野俊基などの公家と連携し密かに倒幕を計る。そして、その天才的な軍略をもって僅かの手勢で後醍醐帝を助ける、河内の豪族・楠木正成。
 日本の西で東で、運命の歯車が上手く咬み合った時・・・・。

腐敗した独裁体制に反旗を翻す!
水滸伝のようなレジスタンスものが好きな人にとってはたまらない展開になっています。「幕末」と言えば、どちらかと言うと江戸時代末期を指し人気もありますが、鎌倉時代の幕末は趣がまた異なります。
後醍醐帝の倒幕の企てが二度も失敗して島流しにされたり、その過程で、楠木正成が天才的なゲリラ戦で奮戦したり(そりゃ人気あるわな・・)足利高氏と佐々木道誉や正成たちとの駆け引き、そして後醍醐帝の綸旨(天皇の命令文)を受け一斉に叛旗を翻す源氏の武士たち。さらには北条一族の華麗な散り際などetc。とにかくドラマチックなのです。



○建武の失政? 昨日の友は今日の敵 後醍醐帝 vs 足利尊氏 南北朝の動乱

後醍醐帝に憧れ、その帝と共に北条一族の支配する鎌倉幕府の打倒に成功した足利高氏でしたが、いずれ運命は二人を敵味方のリーダーへ分かち、日本を二つに分けた大動乱の時代に突入します。まるで、名作ゲーム「幻想水滸伝2」の主人公とジョウイを彷彿とさせます。(あるいは、ここからヒントを得たのかも??)
鎌倉幕府倒壊後、天皇に復帰した後醍醐帝は「建武の新政」で公家一統の政治を始めます。帝から「尊氏」の名を与えられた足利高氏も尊敬する天皇のもと、太平の世への期待を抱きますが・・・。

面白いのは、敵対する相手(勢力)に対し必ずしも「不満」があったり「快く思っていない」わけではない。という事。
難しい局面での選択を次々に迫られ、最後に大きな選択をする事によって、足利尊氏とその一族はそれまで”友”とも言える相手と次々に戦っていくのです。
それは「個人」vs「個人」ではどうにもならない様な「大きな時代の流れ」があります。
尊氏が一貫して、後醍醐帝に対し尊敬の念を持ち続ける事によって、「朝廷に従う武家の束ね」から「朝敵(朝廷の敵)」へと変化していく過程は、よりドラマチックに映えるのです。

京を手中に収め、鎌倉幕府が担いだ持明院統から再度、天皇を仰いで即位させ室町幕府を開いた尊氏に対して、後醍醐帝は奈良の吉野に「もうひとつの朝廷」を立てて、打倒足利の綸旨を崩御するまで発し続けます。

京都と奈良の位置関係から「南北朝」と呼ばれ、60年の長き戦いが続いていく事になります。



○室町幕府の内部抗争 日本史上最大級の兄弟ゲンカ 観応の擾乱

室町幕府は、軍事関係を足利尊氏。その他の政治は弟の足利直義に任せ、二頭政治を行い「両将軍」とも呼ばれていましたが、この構造は、古くからの足利家の執事、高師直と足利直義の間で激しい対立構造を成していきます。
外部においては南朝との戦いを続け、幕府内部においてはヤ○ザ映画でも見ているような骨肉の争いが続きます。

初めは中立の立場の尊氏でしたが、仲の良かった弟直義との対立を次第に深め、実の子、直冬(直義の養子)とも対立します。

幕府内で普通に話をしていたかと思うと、外で刺客を放ったり戦争をはじめたりするので、感覚的に分かりにくいところもありますが、そこはヤ○ザ映画の組織内の対立抗争のような感じ?かなと思います。

前2パートと比べると、個人的にはややダレ感が否めませんが、それでも要所で魅せる血縁関係ならではの会話シーンは実にドラマチックなのです。




大河ドラマ最高傑作との呼び声高いのも頷けます。
とにかくドラマチック。いちいちドラマチック。。

「歴史の勉強は年号と出来事を覚える事ではない。」は高校生時代の歴史の先生の談。

この太平記をよく見てみると、何故、足利尊氏が朝敵にならないといけなかったのか?の時代背景が薄々わかります。
各人物をとりまく背景も、それぞれに魅力的に描かれています。歴史の勉強にもなります。
この物語の主要人物には「完全な善人」「完全な悪人」は出て来ません。誰もが相手を深く思いやるシーンもあれば、感情的になり利己的に相手を傷つけるシーンもあります。それがまた人間臭く、登場人物をより魅力的にみせています。それぞれの役者さんの怪演も光ってます。

そして、「天皇のご威光」というものや、天皇自らの政治を目指す「公家一統」を掲げる事や朝廷(天皇)が二つに割れる事など、当時の時代背景も加味すれば、これらに対する日本人の潜在的な意識には、奥深いものを感じざるを得ません。
現在も「皇室」というかたちで現存し「伝統の継承者」という言葉を天皇陛下が使われた事が記憶に新しいですが、このドラマチックな時代がなかなか取り上げられない背景には、天皇が複雑に活躍するこの時代の描写を扱いづらい(出来れば避けたい)という意図が見え隠れします。



登場人物
●後醍醐天皇

「太平記」で個人的に一番強烈なインパクトを受けた人物。
歴史に疎く、「歴代天皇のひとり?」と思って見ていると、すべてを裏切られる。

現在に伝わる肖像画からは、従来の天皇のイメージを覆す異形の姿。

密教の法具五鈷杵(三?)をその御手に持ち、中国皇帝の如き被り物を被り鎮座する。
まるで「皇帝」だが、その行動力も闘志も歴史上稀にみる帝王気質の天皇。

ここでは、あえて「後醍醐帝」と表した。

正中の変・元弘の乱と二度にわたり、鎌倉幕府打倒計画を立てる。
一度目は1324年、計画自体が露見し鎌倉幕府に未然に防がれる。
二度目は1331年。挙兵し楠木正成らと倒幕運動を起こすが軍事力の差は大きく、幕府に捕えられ隠岐に流される。
幕府は別の天皇の血筋である持明院統から天皇を立てて、後醍醐天皇を「先帝」とした。

7年越しに二度にわたって幕府を打倒しようとする執念だけでも凄まじいが、その後僅か一年ほどで隠岐を脱出し綸旨を発して楠木正成や足利尊氏、新田貞義らと呼応して、1333年ついに鎌倉幕府倒幕に成功する。

現天皇に返り咲いて、すぐに「建武の新政」で自らの治世を目指す。
「朕が新儀は未来の先例たるべし」(暴訳:天皇が全ての決定権を持つ。)

しかし、理想と現実のギャップは厳しく、現実をリサーチしない後醍醐帝の政治は僅かな年月で公家武家庶民問わず混乱を極める。

新政権に対する武家の不満から、武家の期待を集めた「武家の棟梁」とも言える足利尊氏が関東で独自に政治を(武家に土地を所領として配分)行った事に激怒した後醍醐帝は、遂に足利討伐の綸旨を新田義貞に下す。

やむを得ず後醍醐帝に反旗を翻した足利尊氏に1336年、京を制圧され再び「先帝」とされ軟禁されるも、女装して京から脱出

奈良の吉野に落ち延び「吉野朝廷(南朝)」を立てて、南朝の天皇として即位。
北朝と対峙して全国の諸勢力に対して、新たに幕府を開いた足利討伐を発し続けた。

新田義貞、北畠顕家ら南朝方の武将が次々と幕府に破れ去る中、自らも病に倒れ1339年に崩御。
死と床においてもなお剣を握り締め「朕亡き後も速やかに足利討つべし」と闘志を緩めなかった。

二度の倒幕失敗。二度の脱出。・・・
衰えを知らない執念と闘志。
まさに帝王。只者ではない。

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