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友人なんかクソだ


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友人なんかクソだ


今回はセンセーショナルなタイトルをつけてみた。

まずご理解頂きたいのは、これは、あなたにとって特定の「友人」と呼べる人物を指し否定しているものではない。
そこに重きを置きすぎる風潮に疑問を投げているのだ。

孤独を恐れ・・群れたがる

「友人が多い事は、人生が充実して良い事だ」
「友人が居ない人はコミュニケーション能力が低い憐れな人だ」
と決めつけ、同調し共感する事を迫る。

日本人は島国根性とでも言うのか、本当に群れたがる。
何が大事なのか?その本質を見失い、SNS疲れして、友人が多くても人間関係に悩む。
友達と別れて別の環境に身を置かれ、安心感を求めて急いで新しい友達を作ろうとする。

群れる友人など居なくても、関わる人々にその都度、愛情を持って接し充実した人生を送っている人など沢山いる。

どちらが憐れなのか?と問いたい。
そもそも「友情」など存在するのだろうか?
それならば、何故、友達は裏切るのか?

人間、無意識の深い深いレベルでは「独り」であり、絶対的な孤独である。

その表面上の事だけに捉われ、「みんな自分の事しか考えていない」と愚痴をこぼしてくる仕事仲間が以前いた。

思いっ切り当たり前だが、忘れがちなのは、相手は自分ではない。
相手には相手の目線と都合がある。

「友人」という定義で安易に相手をカテゴライズし、「縛りあう」事にどれ程の意義があるのか?
「信じるな」という事ではなく「縛るな」という事である。

「学生時代までの友達なんかクソだ」という記事が某番組で紹介されていた。

これは、人生経験のまだ浅い若年層が友達付き合いで上記のような悪循環に陥るくらいなら軽視した方がまだ良い。
という事を言いたいが為のものだが、社会に出ようが本質は変わらない。

所詮、たまたま近くに住んでいたというだけで、学校という狭い世界に押し込められる。
クラス替えで一喜一憂したところで、社会に出ればどんな人でも学生時代の友人に頻繁に会う機会など、ほぼ0%になる。

しかし、社会に出たところで、たまたま同じ会社になる。たまたま・・・。であり「縁」があったというだけだ。

価値観の合う友人達と共感していれば、確かに孤独は感じず、楽にはなる。が人間的な成長は望めない。

スコトーマ(心理的盲点)だらけなのだから・・・。
友人がクソなのではなく、その定義に縛られて・・・
考え方や思考が停止してしまう事自体が「クソ」なのである。


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